2013年10月05日(土)
■ [そのほか]高崎山ベンツ
行方不明になっていた高崎山のC群ボスのベンツ、
駄ノ原球技場近くで保護された。
35歳、人間の年にすれば100歳超えだがまだまだ元気、やはり仲間と一緒に暮らすのが一番とのことで山に返されたが、群れに受け入れられるか心配だったが、今日の新聞でC群のボスに復帰したとのこと・・よかった。
私も段々高齢化して、なぜかこのニュースが気になった。
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■ [遺跡][地域]図書館で古地図
久しぶりに県立図書館へ行き、
昔の地図(字図)を閲覧、
昭和9年発行とある。
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まずは大道旧道、刑務所があり北側の角が欠けたようになっているところが私の本籍地、親父が結婚して小松醤油屋の借家に住まった折に本籍地もココにしたそうだ。
大分駅の上方にある裁判所は今の太陽家具、大道小学校の右上の水道課は現在大道公民館。
同じところを昭和30年代の地図と比べると、刑務所がなくなっています。
本籍地は太陽商事、今は朝鮮銀行(?)です、向かい側は消防団友達の松尾理容、水道課にロザリオ工場が併設されていますが後に下郡に移転した「精工社」ですね。
下のほうの「旅館住友支店」は間違いで「旅館住吉支店」、オヤジの弟のシゲおいさんがやっていた木賃宿。
こちらも参考にhttp://blog.hisano6.jp/20121017.html#p01
ついでに大分駅前、日銀はパルコになり現在解体中、吉村薬品もここにあった、その向かい側に小野建と並んでいるのが「住吉ホテル」、オヤジの兄、シンおいさんが経営していましたが今は小野建とともにパルコの駐車場。
駅前から下郡に抜ける道は工藤旅館のまえで止まっています、工藤旅館は移転してビジネスホテルクドウで現在も営業中、
30年代の地図は合同新聞発行。
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さて昭和9年の田室

東田室と西田室に別れていて線路より北側の川(黒塗りの部分)までが田室ですね、ただしわが家はありません、
下(南側)は現在の穴吹マンション横の道までで、ココまでが勢家、その下側は駄の原になります。
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こちらが我が家の部分です、(この図は右が北なのでご注意)ココを購入したのが昭和11年頃、黒い部分が毘沙門川です、三角の1148番地がありますが現在はわが家とKAさん、FUさん(FUさんは隅っこの土地も購入)にわかれています。
大分高等小学校は今の王子中学、
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次は春日浦、(左が海・北です)
大分県師範学校があります、井出さんのお父さんはココの卒業です、その後師範学校は連隊あとに移転し大分大学学芸学部となり、跡地は大分球場になり現在はフレスポ。
中央付近に「王子社」若一王子神社ですが境内を道にとられたようです。
電車通りの下が別府側ですが「西光寺」とありますが現在寺院はありません、ここの住職が仏崎の崖に南無阿弥陀仏の文字を彫ったそうです。
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次に西大分、方位が前のと反対で上が別府方面、海が右です、
カンタンのところが「宝崎」と表記されています。
大分・別府間のの7崎の1つです。